親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 仏教の根幹・因果の道理(その2)

「因果の道理」は宇宙の真理であり、仏教の根幹である、と前回書きました。

全ての結果には必ず原因がある。これはいつでも、どこでも決して変わりません。時々、
「これは偶然に起こったことだ」
と、まるで原因なしに引き起こったことがあると言い張る人もありますが、それは原因不明なだけで、原因がないのではありません。
たとえば墜落して海の底深く沈んだ飛行機の事故原因は、とても追究できませんが、それは原因がないこととは違うのです。
「因果の道理」は私たちの運命がどのように生み出されるのかを教え、その因果関係をお釈迦さまは次のように言われます。

善因善果(ぜんいん、ぜんか)
悪因悪果(あくいん、あっか)
自因自果(じいん、じか)

「善因善果」とは、善いタネをまけば善い結果が現れる。「悪因悪果」は、悪いタネをまけば、悪い結果が報う、ということです。
ダイコンの種をまけばダイコンが、キュウリのタネをまけばキュウリが生えてきます。
ダイコンをまいてキュウリは出ないし、キュウリをまいたならダイコンは出ません。
善いのも悪いのも、タネに応じたものが必ず生えてくるのです。

因果の道理については親鸞会の法話で詳しく聞くことができます。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 仏教の根幹・因果の道理(その1)

前回まで、お釈迦さまの『譬喩経』に説かれている私たち人間の実相を教えた譬え話について書いてきました。
この譬えをとおして、私たちが仏教を聞くのは「後生の一大事」の解決のためであることが分かっていただけたでしょうか。
次にこの一大事をよく知るに、非常に大切な教え、仏教の根幹といわれる「因果の道理」について、しばらく書いていきたいと思います。

お釈迦さまの説かれた仏教は、今日、七千余巻の経典に書き残されています。これを一切経といい、そのすべてを貫いている教えが「因果の道理」です。
「因果の道理」は、仏教の根幹といわれます。
仏教を一本の木としますと、因果の道理はその根であり幹である、ということです。根を絶ってしまえば木は育ちません。幹を切ったら木は倒れてしまいます。因果の道理が分からないと、仏教は絶対に分からないのです。

まず「因果」とは何でしょう。これは原因と結果のことです。すべての結果には必ず原因がある。原因なしに起きる結果は万に一つ、億に一つも絶対にないし、結果が生じたのは、必ず相応の原因があったからだ、と仏教は教えています。

「道理」とは、三世十方を貫く真理をいいます。
「三世」とは過去世、現在世、未来世の三つをいい、平たくいえば「いつでも」。
「十方」とは東西南北上下四維のことで「どこでも」という意味です。
いつの時代もいずこの里でも、たとえ宇宙の果てに行っても、もう間違いのないことを「道理」といいます。
この因果の道理について、しばらく続けて書いていきます。また、このことは親鸞会の法話で詳しく聞くことができます。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 譬え話に学ぶ後生の一大事(その4)

後生の一大事を教えられたお釈迦さまの『譬喩経』に説かれている譬え話について解説しています。
時々、親鸞会の法話会や勉強会でも、お釈迦さまのこの譬え話について皆さんと学びますが、その内容を要約して、ここでは紹介しています。

前回からの続きです。

藤蔓をかじる白と黒のネズミとは私たちの寿命を縮める昼と夜のことを表わしています。
今日一日生きたことにより今日一日分、寿命の藤蔓が細くなっています。

どんどん細められ、最後、必ずかみ切られてしまう時が来るのです。
寿命の尽きた旅人はどうなるのか。人間は死んだらどうなるのか。

お釈迦さまは底の知れない深海に堕ちていかねばならないと教えておられます。

深海とは死後の苦しみの世界をたとえられたものです。

すべての人は死ねば必ず苦しみの世界に入ってゆかねばならない。
これを後生の一大事と言われます。親鸞聖人が比叡山で取り組まれたのは、この一大事なのです。

三匹の毒龍とは地獄の苦を生み出す三毒の煩悩のことです。
欲、怒り、愚痴、これを三毒の煩悩といいます。これらで一生、悪を造り続け、それが未来の地獄を生み出すとお釈迦さまは教えられています。

蜂蜜にたとえられたのは五欲です。人間は五つの欲望を持っています。

○食欲:食べたい、のみたい。
○財欲:お金がほしい。
○色欲:異性への欲。
○名誉欲:良く思われたい。
○睡眠欲:寝たい、楽したい。

朝から晩まで五欲の満足を求めて生きています。
どうしたら少しでも多くこれらの満足が得られるか、そればかりです。
刻々と迫る死の虎も忘れ、日々縮まる寿命の藤蔓の細さも気にならず、五欲の蜂蜜を求めているうちにたちまち堕ちてゆかねばならないのだ、とお釈迦さまは教えられているのです。

親鸞聖人はご両親の死を縁として「人間は死んだらどうなるのか」と悩まれ、後生の一大事を知らされ、その解決を求められたのです。
仏教の目的は、後生の一大事の解決であり、それを得ずして本当の幸福はありえない、と教えられているのが仏教です。

親鸞聖人が90年のご生涯、何を教えていかれたのか、親鸞会は、法話会や勉強会を通じて皆さんにお伝えしています。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 譬え話に学ぶ後生の一大事(その3)

後生の一大事の解決、これ一つが仏教の目的です。

親鸞聖人は、9歳で出家得度なされ、比叡山天台宗の僧侶となられました。
そこで厳しい修行に打ち込まれたのも、後生の一大事の解決が目的だったのです。

ですが、後生の一大事がどんなことかを知らなければ、仏教の教えも、親鸞聖人が仏法を求められた目的もわかりません。
後生の一大事について、どのように教えておられるのか、親鸞会の勉強会でも詳しく話をしていますが、このサイトでも知って頂けるように解説しています。

お釈迦さまの作られた譬え話を通して、後生の一大事を説明していましたが、前回の続きで、譬え話の意味することについて、解説したいと思います。

旅人とはすべての人間のことです。
私たちは生まれた瞬間から人生の旅をしています。

去年の旅が終わり、今年の旅、やがて来年の旅へと続いていきます。

「世の中の娘が嫁と花咲いて嬶としぼんで婆と散りゆく」
と女性の旅を歌った人がありました。男性も同じですが、人生は墓場への道中と言えるでしょう。

白骨とは人生の途上において見聞する他人の死を表わします。
家族の死、親類の死、友人の死、有名人の死など、他人の死を聞いてドキッとします。
人生は白骨の野原です。

虎とは自分の死です。他人ばかりが死んでゆくのではありません。恐ろしい死が自分にも迫っているのです。
死は人間にとって最も恐ろしいから凶暴な飢えた虎に譬えられたのです。これを無常の虎と言います。

虎から懸命に逃げようとしたのは私たちが、死から逃れようと病院や種々の健康法に走る姿でしょう。

藤蔓にたとえられたのは人間の寿命です。必ず一度は死ぬ、と思っていても私たちは残された寿命を当てにして「あと20年、30年は死なないだろう」などと思っています。

10年と言っても過ぎ去ってしまえばアッという間です。
藤蔓は極めて短いのです。

浄土真宗親鸞会は、本当の親鸞聖人の教えを、一人でも多くの方に知って頂くための集まりです。
全国各地で、講演会や勉強会を開催しており、どなたでもご参加いただけます。

譬え話の解説は、次回に続きます。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 譬え話に学ぶ後生の一大事(その2)

仏教は、後生の一大事のあることと、その解決の道を明らかにされた教えです。
親鸞聖人が、9歳で比叡山に入られたのも、この後生の一大事を解決するためでした。

その後生の一大事について、前回から、お釈迦さまの譬えられた話を通して、皆さんに知っていただいています。

旅の途中、飢えた大きな虎に追われ、崖に垂れる藤の蔓にすがって、ようやく一命をとりとめた旅人でありましたが、なんと、その藤の蔓をかじる2匹のネズミがありました。
そのネズミを追い払おうと、藤蔓を揺さぶる旅人でありましたが……。

奇妙なことに藤蔓を揺さぶる度に何かの滴が落ちてきた。
手に取ってみるとそれは美味しそうな五滴の蜂蜜であった。

嘗めてみるとその甘さが空腹の旅人には何とも言えずおいしい。
「どうして」
と注意深く見てみると、頭上の木の枝に蜜蜂の巣があった。藤蔓を揺さぶった震動で蜂蜜がこぼれてきたのだった。
「あのおいしい蜂蜜をもう一度嘗めてみたい」
と繰り返し藤蔓を揺さぶっては蜜を求め続けた。

やがて旅人は虎、龍、深い海、ネズミなどの一切の危険を忘れて蜂蜜のことばかりを考えるようになってしまった。

これこそがすべての人間の実相であるとお釈迦さまは説かれています。
足下に迫る深海と龍こそ後生の一大事なのです。

親鸞会では、ベストセラーである「なぜ生きる」を監修され、「歎異抄をひらく」を書かれた高森顕徹先生の法話会が毎月、親鸞会館(富山県射水市)で開催されています。
後生の一大事と、その解決の道を明らかにされた親鸞聖人の教えを皆さんにも知って頂きたいと思います。

次回は譬え話の解説です。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 譬え話に学ぶ後生の一大事(その1)

親鸞聖人が、わずか9歳にして比叡山天台宗の僧侶となり、仏法を求められたのは、後生の一大事の解決のためでした。
「後生の一大事」という言葉は、仏教用語ですから、仏教を学ばれたことのない方は、初めて耳にされる言葉だと思います。
後生の一大事とは、どんなことなのか、親鸞会では勉強会で詳しく話をしていますが、大切なことなので、このサイトを読まれる方にも、知って頂きたいと思います。

お釈迦さまは『譬喩経』に次のような有名な譬えで後生の一大事を教えておられます。

一人の旅人が果てしない荒野を旅していた。
ふと、旅人は道に白い物が転々と散らばっているのに気づき、その一つを拾ってみた。
それは人間の白骨だった。
「なぜこんなにも多くの白骨があるのだろうか」
不気味な不安を感じ、周囲を見回したが、火葬場も墓場もない。
すると前方から異様なうなり声と足音が聞こえてきた。それは飢えた大きな虎であった。
瞬時に旅人は白骨の意味を知った。かつてここを旅した人々が、虎に食い殺されたのだ。その虎が自分に迫っている。

旅人は今来た道へ無我夢中で逃げた。しかし、虎の方がはるかに速い。距離はどんどん縮まる。
「しまった。道を間違えた」
旅人は断崖絶壁の頂上に出てしまった。行き止まりである。
崖は松の木が生えており、その枝から一本の藤蔓が垂れ下がっていた。
「しめた。あそこだ」
思うが速いか藤蔓にぶら下がった。それで何とか恐ろしい虎からは逃れられたのである。

ヤレヤレと幾分安堵し、では下はどうなっているのだろうか、と眼を足下に転じた時、思わず「アッ」と叫んだ。
足下には底の知れない深海があり、怒濤がすさまじく渦を巻いている。落ちたらひとたまりもない。
それだけではない。波間からは三匹の毒龍が現れ、大きな口を開けて自分の落ちてくるのを待ち構えている。上に虎、下に龍、まさに絶体絶命である。
旅人はしっかりと命の綱の藤蔓を握りしめずにおれなかった。なす術もなく時間が過ぎ、やがて空腹を感じた旅人は食を求めて周囲を見回した。
その視線が頭上に向かった時、旅人は驚くべき光景に全身が凍った。
なんと藤蔓の根元に白と黒との二匹のネズミが現れ、交互に藤蔓をかじっているのだ。
藤蔓をかみ切られたら終わりである。もはや空腹などと言っておれない。
旅人はネズミを追い払うために懸命に藤蔓を揺さぶった。
しかしネズミは一向に逃げようともしない。ただガリガリとかじり続けている。

旅人は、まさに絶体絶命のピンチ。
この後、どうなってしまうのか、次回に続けたいと思います。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 後生の一大事を知る

仏教は、後生の一大事を知ることに始まり、後生の一大事の解決で終わる教えです。
仏教に入門したいと思う初心者の方も、この後生の一大事を知らないと始まりません。

後生の一大事の解決が、仏教を聞く目的であり、私たちが生きる目的なのだよ、と親鸞聖人は教えておられています。

前回から、その「後生の一大事」について書いています。

「後生の一大事」という言葉は、有名な蓮如上人の「白骨のお文」にも出て参ります。
全文を紹介しましょう。

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。(五帖目十六通)

「老少不定」(ろうしょうふじょう)と言われるように、年の順に死ぬ、ということは決まっていません。
若者の交通事故死も多くあります。無常の前では皆、同い年。だから、「誰の人も」と言われ、後生の一大事の解決を急ぎなさい、とおっしゃっています。
すべての人の行く先は後生です。後生の一大事と無関係な人はいません。
蓮如上人は私たちに、後生の一大事を心にかけよ、後生の一大事を忘れるな、と教えておられるのです。

勉強会の中で、この「白骨のお文」についても親鸞会では詳しく話をしています。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 後生の一大事とは

親鸞聖人が比叡山で解決を求められた後生の一大事とは何か、ということについて、親鸞会では、特に詳しく勉強会などで話をしています。
それは、仏教は、後生の一大事を知ることに始まり、後生の一大事の解決で終わる、と言われて、この後生の一大事がわからないと、仏教は何十年聞いてもわかるものではないからです。

「後生」とは、一息切れたら後生です。

仏教と聞くと、「年を取ってから聞けばいいもの」「若いからまだ聞く必要がない」と言う人があります。
後生は遠い先のことで、自分とは関係の無いことだと思っているのでしょうが、この世は「火宅無常の世界」と歎異抄にもありますように、いつ何が起きるか分かりません。

「まさか」は突然やってきます。心臓マヒや脳梗塞、事故や震災など、何かのことで吸った息が吐き出せなければ、吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。
吸う息吐く息と触れ合っているのが、後生です。
いくら平均寿命が延びたといいましても、死ななくなったのではありません。100パーセントぶち当たらねばならないのが、後生です。
だから後生と関係の無い人は、一人もいません。

では、「一大事」とは、どんなことをいわれるのでしょうか。仏教に、こんな話が伝えられています。

ある時お釈迦さまが托鉢中、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘が、しきりと袂へ石を入れているのをごらんになられました。

自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、相手がお釈迦さまと分かった娘は、心を開いてこう打ち明けました。

「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。どうかこのまま死なせてくださいませ」
と娘は、よよと泣き崩れました。その時お釈迦さまは哀れに思われ、こう諭されています。
「愚かなそなたには、譬えをもって教えよう。
ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。つくづくその牛は思った。なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、牛は車を壊すことを決意した。ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなければまた壊されると、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。それは壊した車の何十倍、何百倍の重さであった。その車で重荷を同じように毎日引かせられ、以前の何百倍何千倍苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった。
牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと思ったのと同じように、そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。そなたには分からないだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならないのだ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

この話は、すべての人に、死ねば取り返しのつかない一大事のあることを、お釈迦さまが教えられたものです。これを「後生の一大事」といわれます。
この「後生の一大事」を解決することが、仏教を聞く目的である、と教えられています。

浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えますが、あれは、おまじないでも何でもなく、阿弥陀仏によって、この後生の一大事を助けて頂いたお礼の言葉なのです。
「念仏を称えたら救われる」という誤解が広まっていますが、正しくは「救われたお礼に称えるのが念仏」です。

ここもよく知って頂きたいところですので、親鸞会では、勉強会を通じて、念仏について親鸞聖人が教えられたことを詳しく話をしています。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 比叡山でのご修行

親鸞聖人の教えを知って頂きたい、と親鸞会では各地でどなたでも参加できる勉強会を開いております。
このサイトでは、聖人のご一生を紹介しながら、親鸞聖人の教えを学んでいきたいと思います。

9歳で比叡山天台宗の僧侶となられた親鸞聖人は、どのようなご修行をなされたのでしょうか。

比叡山は『法華経』を如実に修行しようとする、天台宗の山です。
親鸞聖人は、この山で9歳から、29歳までの20年間、大曼の難行まで成し遂げられた所です。

「千日回峰行」と呼ばれる荒行があります。

千日回峰行といいますのは、真夜中の0時前に起きて山上山下の行者道を30キロ歩くのです。
この間、堂塔ガランや山王七社、霊石、霊水など約300カ処で所定の修行をします。

無論、雨、風、雪、病気になっても止めることはできません。若し途中で挫折したら持参の短刀で自害するのが山の掟になっています。徳川時代には多くの修行僧が自害しています。

始めの3年間は毎年100日、次の2年間は200日連続で修行しなければならず、とりわけ801日目から100日間は「大回り」をやります。

山を降りて京都の修学院から一乗寺、平安神宮、祇園と一日80キロを17、8時間で回る生死関頭の苦行です。開山以来1000年間、この難行を完遂した者は300人に満たず、幕末から今日まで10数人しかいないという、文字通りの命がけの修行です。
しかもなお、仏の覚りには程遠い初歩なのです。

では、なぜこれほどまでに厳しい修行をするのでしょうか。
仏教の目的は何なのでしょうか。

それは、ひと言で言えば「後生の一大事の解決」、これ以外にありません。

親鸞聖人が、比叡山で激しい修行をなされたのも、この後生の一大事の解決一つのためでした。
「後生の一大事」とは何か、大切なことなので、次回、学んでみましょう。

親鸞会で親鸞聖人のご生涯を学ぶ 出家の動機

9歳で、比叡山天台宗の僧侶となられた親鸞聖人でしたが、その動機とは、何であったのでしょうか?

親鸞聖人が生まれられたころ、藤原家は衰退し、かっての権勢はありませんでした。貧しい貴族の子弟は、朝廷で出世する望みが薄く、出家して僧となり、高い地位を求める者が多くあったのです。

ですから、親鸞聖人も、乱世を生き抜く生活のために出家されたのでは?と思う人が多いのも致し方ないのかもしれません。

しかし、聖人が出家なされた動機は、生活のため、ということとは、まったく異なったものでした。
親鸞会の勉強会でも、そこは、皆さんによく知って頂きたいことですので、詳しくお伝えしています。

幼き親鸞聖人が出家された時の心境は、
「父去り、母も亡くなった。次は自分の死ぬ番だ。死ねばどうなるのか。ここ一つ、ハッキリさせねばならぬ」。
というものでした。

この世に生を受けてから、陰にひなたに養育してくださったご両親との別れは、幼かった頃の親鸞聖人の胸に深く大きな悲しみをもたらしたに違いありません。
「明日を、どう生きるのか」そればかりが心配で仕方がないというのが普通なのでしょうが、聖人は、出家して仏道修行に励む、という進路を選ばれたのです。
ご両親の無常から「自身の死」という問題を、聖人は知られ、周囲の慰めも、生き方の充実も、生死の問題の解決にはならないと痛感されました。
聖人の、その深いお気持ちは、出家の際に詠まれたお歌にうかがうことが出来ます。

「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

「明日ありと思う心」とは、”明日も自分は生きていられる”という心です。毎日、私たちは「明日」のためにいろいろの準備をします。米をとぐ、洗濯する、学び、働く、すべて「明日がある」を信じてのこと。未来への努力を、皆疑いません。

しかし、「明日ありと思う心」は、明日になれば、また、「明日ありと思う心」。その明日になれば、また、「明日ありと思う心」です。
つまり、「明日ありと思う心」は「今日は死なぬ、と思う心」であり、それがどこまでも続くのですから、「永遠に死なない、と思っている心」なのです。
言い換えれば、明日も、来年も、10年後も、永遠に、生きていられると思う心です。

そう聞くと、”そんなことはないよ。自分もいずれ死なねばならないことぐらいは分かっている”と思うでしょう。
しかし、それは、本心からと言えるでしょうか。

「露の世は 露の世ながら さりながら」

愛娘を病で亡くした小林一茶(江戸時代の俳人)の詠です。
「はかなきこの世と知ってはいたが、いとしいわが娘を亡くした身は、何と耐え難いことか」
子供の死を悲嘆しながらも、100パーセント確実なわが身の死をはねつけている心。
現実はしかし、「夜半に嵐の吹かぬものかは(今宵、死んでゆくのが私)」。
だから「仇桜」と、親鸞聖人は言われるのです。
必ず死にゆく自分、なのに「なぜ生きる」。その解答を、幼き聖人は、仏の教えに求められました。